【ベトナム】ハノイの旅情報
14世紀にさかのぼる旧市街やフランス統治時代のコロニアル建築で知られています。
今回は、そんなハノイの旅情報をまとめてみました。
紹介文は、基本的にリンク先のページに依拠しています。リンク先のページにはさらに詳しい情報が載っているので、是非ご覧ください。
ハノイ旧市街
11世紀から19世紀まで、北部ベトナムの首都はタンロンという名前でした。ハノイはその後の名称です。
そのタンロンの中心区は、現在ホーチミン廟がある周辺で、リータイトーをはじめとする歴代皇帝が居城していたタンロン城でした。
ハノイ旧市街は、その時代に一大商業区だったエリアです。
ベトナム政府が管轄する指定遺産となっているため、建て替えなどが行われずに、古き良き町並みを保っています。
ドンスアン市場
ハノイを代表する2大市場として、ドンスアン市場とホム市場があります。このうち、ドンスアン市場は、ハノイ最大級の屋内型市場です。
ローカル色の濃いホム市場(ホアンキエム湖南部)と比べ、ドンスアン市場は外国人観光客におすすめのお土産が数多く見つかるといわれています。
ドンスアン市場は3階建てで、1階は食品や菓子、日用雑貨、2階がアオザイなどの衣料品、3階は子供服が売られています。夜にはベトナムの名物料理を安く食べることができます。
文廟
1070年、孔子を祀るために建立された廟で、孔子廟とも呼ばれています。1076年には、境内にベトナムで最初の大学が開設され、1779年までの約700年の間に数多くの学者や政治指導者を輩出しました。
19世紀のグエン(阮)朝時代にできたクエ・ヴァン・カック(奎文閣)は、ハノイの象徴のひとつとなっています。
クエ・ヴァン・カックを通り抜けた先にある池を囲むように並ぶ82の石碑は、すべて異なる顔をした亀の像の上に置かれており、1442~1779年の間の科挙試験合格者1304人の名前が刻んであります。この82の石碑は、2011年に「世界の記憶遺産」に登録されました。
ホーチミン廟
ホー・チ・ミン氏は初代ベトナム民主共和国の主席で、フランスの植民地時代からベトナム戦争、独立まで一連のベトナム革命を指揮した指導者です。
自己顕示欲が少なく、個人崇拝を嫌ったホー・チ・ミン氏は自身の遺骨を各地域に散骨することを望んでいましたが、当時の政府によりホーチミン廟が建設され、遺体が永久保存されています。
遺体が永久保存処置を施され、1年中冷房の効いた内部の部屋で遺体が安置されています。
タンロン水上人形劇場
ベトナム建国の父ホーチミン元国家主席が、1956年に子供達のために建てたものです。
千年以上前から続くベトナムの伝統芸能を楽しむことができます。
1121年建立の石碑にも、宮廷で水上人形劇が催された様子が描かれているそうで、王の前でも披露された格式ある芸能です。
水上人形劇のそもそもの始まりは、ベトナム北部の、暑く湿気の多い地域の農民たちが、収穫の祀りの時などに池や湖を舞台に上演していたと考えられていて、当時は村の寺院やパゴダの池などで上演されていたそうです。
やがてそれが宮廷でも上演されるほど発展していくのですが、水上でどうやって人形を操っているのか、それは劇団の「門外秘出」とされていて、長い間、その秘密を守るために劇団に入団するには厳しい制限があったそうです。
ホアンキエム湖
「ホアンキエム」とは「還剣」という意味で、15世紀に神から授かった宝剣で中国軍を破ったレ・ロイ王が、大亀を通じて神に返したという伝説に由来しています。湖の南に立つ小さな塔は、王が宝剣を返した場所とされています。周囲は約2㎞。遊歩道が整備されており、ゆっくり歩いて30~40分程度で一周できます。
ハノイ大教会
当初このハノイ大教会の敷地は仏教寺院の跡地でした。1886年にハノイ市内で最大規模の大きなカトリック教会として建立され、現在の姿に至ったのは1900年のこと。つまり100年以上前に建てられた歴史的建造物ということになります。
背の高い二つの尖塔は、ホーチミンの聖母マリア教会と同じ建築技法です。これは「ネオ・ゴシック建築」と呼ばれる18世紀に欧米で流行った建築様式で、特徴となるのが突き出た尖塔です。本場のフランスやドイツ、イタリアなどでは、カトリック教徒の一般家庭にも普及した建築です。
ハノイで最大規模のカトリック教会「ハノイ大教会」 | ベトナム最新情報ブログ(現地在住ライターによるベトナムの記事)
おわりに
旧市街、水上人形劇、そしてフランス統治時代の面影。皆さんもフォーで腹ごしらえをしてから、複雑な歴史をもつハノイの街並みに出かけてみませんか?